2013年3月15日金曜日

世の中の為にはなっていないけれど


僕は今スマホのアプリを作るお仕事をしています。
それ自体とても楽しいのですが、ふとした時にこんなことを思うことがよくありました。

それは、僕が今やっている仕事って世の中の為になるのかな?世界を良くしてくれるのかな?というものでした。傲慢ですかね。

例えば、僕の先輩達がやっているスペイン語のオンライン学校(SPANISIMO)の事業はなんだかとても世の中のためになっている気がします。実際、雇用問題が深刻なグアテマラに住んでいる現地人の雇用を生んでいます。ビジョナリーです。

例えば、最近見に行ったSF JAPAN NIGHTには社会問題を解決するために日々必死に頑張っているスタートアップの人たちがいました。若いし、僕が思いつかないような素晴らしいアイディアがそこには散らばっていたように思います。

対して、僕がやっているお仕事はどうでしょうか?
僕は今スマホのエンタメアプリやツール系のアプリを作っています。
それらのアプリはおそらくそんなに世の中のためになっていないです。少なくともビジョナリーでは無いし、社会問題を解決したりはしません。

また、GREEやDeNA、最近ではガンホー等はソシャゲーを作って、たくさんのユーザーがいて、沢山お金を生んでます。

でも客観的に見ているとなんだかリスペクトされていない気がします。
最近それは、アダルト産業に似ている気がしています。
みんなAVとか見てるのに、社会的にあまりリスペクトされていません。

要するに世の中の人はエンタメなどで得られる小さな幸福感を軽視しているんじゃないかなと。普段なにげに使っている2chまとめアプリや、Xvideoから得られる小さな幸福が生活の中には散りばめられています。

最近はそういう小さな幸福を作っていることに、しっかりと自信を持てるようになってきました。

2013年3月14日木曜日

産みの苦しみ

新卒時代は誰かが作ったモノをお客様に売るというお仕事をしていました。
現在は職場も変わり、自分が作ったモノを自分で世の中にデリバーしていくお仕事をしています。

モノを作る時に人は「産みの苦しみ」と言われる期間を味わいます。
ゼロイチであれ、何かのコピーであれ、この「産みの苦しみ」というものは必ず通る過程かと思います。もしかしたら、もっとスマートにやり遂げる人もいるのかもしれませんが、僕はスマートではないのでたいてい苦しんでいる気がします。

ちなみにこの苦しんでいる期間は目に見えるアウトプットが無いので結構辛かったりします。たまに辛すぎてベッドに寝転がりながら膝を立てて、lap top を太ももの上に設置し、日本でやっているアニメを貪りつくように見てしまう日だってあります。

閑話休題。

今日は僕がモノを作る過程で苦しんでいる内容を紹介するという、何とまぁ誰得なのかわからない話をしてみようと思います。

せっかくモノを作るのであれば、それはそれは爆発的に人気が出て、さらに長い期間多くの人に愛されるモノにしたいです。それでお金がちゃりんちゃりん出来たら尚最高です。

でも残念ながらそんな都合のいいモノは存在しません。

ニッチだったり、尖ったコンセプトを含んだモノは面白いと思われることが多いです。
でも、残念ながらそういったものは、何か大きなフレームの中の一部を切り取ってフォーカスさせているという特徴から、一度火がつくと爆発的に広がりますが、消費されるスピードも激しく速いです。要するにすぐに飽きられてしまいます。

あきまへん。こんなんちゃいますねん。流行ってもすぐ終わりですやん。
もっと色んな人に長く愛されたいのんよ。

と、今度は多くの人に長く愛されるものは何だろうと考えだします。
それはニッチでなく、丸いコンセプトを含んだモノであることが多いです。
そういったモノは息が長いです。皆に愛されます。でも、差別化が超絶しにくいし、強大な競合が多いです。個人やちっちゃい会社では勝てません。

あきまへん。そんなんもうどないしようもないですやん。

そうです、どないしようもありません。
でも、モノを作る人はこういった葛藤と永遠に付き合って行かなければなりません。

それでもこの仕事を続けたいと思う理由は、自分が作ったものを友人や、顔を見たことも無い10万人、100万人という人達が使ってくれているという経験を味わってしまったからだと思います。

以上、まさに「産みの苦しみ」を味わっていて、そこから逃避している最中に書いたエントリでした。