2012年6月29日金曜日

こだわりの強さ

作っているモノにこだわりを持つことはとても重要だ。

仕様にしても何にしても僕は色々な人から意見を聞いて、ふらふらしてしまう傾向が多い。もちろん柔軟さは求められるが、ここは譲れないという強い気持ちを持つことも求められる。


少し押したらふらふらしてしまうプロデューサー/ディレクターに誰が頼ろうと思うだろうか。プロデューサーは自分の作るものを誰よりも最も考えている人でないといけない。


もっと頑張らないと。






2012年6月15日金曜日

コミュニケーションと反応

今、新しいサービスを作ろうとしているわけだが、自分の中でどうしても「よしイケる!」というステージまでリフトアップできないでいる。

アイディアは面白いのだけど、、、、

ユーザーがサービスを使用する際のシナリオが苦しい。いや、それよりもまだ自分自身が「ターゲットユーザーを絞りきれていない」ということが大きな要因だと思う。

考えなければならない要素をブレイクダウンしてみる。

・このサービスに訪れる人はどのような人か
・サービスに訪れる際にユーザーは何を考えているか
・ユーザはそこで何をしたいのか
・そのサービス上でユーザーに何をしてもらいたいか

まさに今日はここについて考えていて、一歩前進した感じはある。

そしてそれらをすべて設定した後の最大の難関が、サービスを継続利用してもらうための仕組みだ。

僕がウェブサービスの世界に興味を持ちだしてから 8 年ほど経つけど、その年月の中で多くユーザーを抱え、かつ継続利用されている代表的なサービスはtwitter,facebook,mixi,gree,モバゲー,はてブ、youtube,ニコニコ動画あたり、最近ではLINEやNAVERまとめかな。

これらのサービスが継続利用されている理由はそれぞれ複数の要因があると思うが、プロモーション戦略やユーザー数など外的要因を省くいて大きく分けると「コミュニケーションと反応」「日常使いのツールまで落とし込めている」「インターネットでしか実現できない便利なサービス」の 3 つのどれかに当てはまるのではないかと思う。その中でも今僕が最も注力しなければならない要素が「コミュニケーションと反応」だ。

■コミュニケーションと反応

コミュニケーションと反応はとても重要だ。CGM系のサービスであればなおさら。

人は生産と消費を繰り返すものであり、もちろんそれはコミュニケーションにも例外なく当てはまる。コミュニケーションとは何かのやりとりをすることを指す。もう少し具体的に言うと、コミュニケーションとは感情や言葉、情報をやりとりすることだ。

コミュニケーションを発生させる際、時間とエネルギーを消費する。

facebookに写真を投稿、いいね!を押す、コメントをする。twitterで「うんこなう」とつぶやく。どれもすべて時間とエネルギーを消費して発信をしている。

人は日常のありとあらゆる場面でコミュニケーションを強いられており、その都度時間とエネルギーを消費している。ではなぜ人は、日常でも強いられており大量に消費している時間とエネルギーをネット上でまで消費するのだろうか。

答えは明確で反応があるからだと。人は反応がないと生きていけない生き物だ。

日常で僕が「お腹が痛い」と漏らしても(うんこじゃないよ、言葉を漏らすんだよ)近くにいる人が反応してくれるだけだけど、twitterやfacebookでは数多くの反応や思いもよらない人からの反応が発生することがしばしばある。

インターネットにおける反応のバリエーションは物理的な世界のそれよりも遥かに広く広大なものとなる可能性が高い。この反応のバリエーションを上手くユーザーに届けてあげる仕組みがCGMのサービスには必要不可欠。

まだまだ解決すべき問題は山積しているけど、猛スピードで詰めていくぞー!

あ、ちなみにこのエントリを書こうと思いついた時点でtwitterにお腹痛いと呟いたけど反応はありませんでした。

2012年6月11日月曜日

モノ作りの原点

広く多くの人に使ってもらえるモノを作り出すきっかけとは何なのだろう。どうして僕は今作ろうとしているモノのチームに参画して限りある人生の時間をチームと共に削っているのだろう。

そんなことをふと考え出してしまう程度に暇な夜を過ごしているわけです。

あまりだらだら考えてもしょうがないので、「妄想」なのではないか、そう結論づけてみた。

人は色々な事を妄想する生き物です。

・すげー可愛い子と付き合いたい
・友達が欲しい
・ゲームセンター以外でもゲーム出来たらいいのに

妄想の多くは実現出来ていない欠落した願望から生まれるケースが多いように思う。しかし既存のフレームワークの中で欠落した願望を叶える事はそう簡単なことではない。その妄想を実現するための手段の一つがモノづくりなのだと思う。

ただ、自分の妄想を実現するためだけのモノづくりはまだ「広く多く」の人たちの為のモノづくりではない。

世の中に浸透しているものは大衆の妄想、もしくはまだ顕在化すらしていない妄想の卵(所謂インサイト)を具現化しているものだ。

ただ、自分の妄想を叶えるのすら難しいのに他人の妄想なんて分からないよ。
そう思う人もいるかもしれない。でも、実は世の中の人達の大半は結構他人の妄想を実現していたりする。その相手は家族だったり、恋人だったり親友だったりするわけだ。

あの人にアレをしたら喜んでもらえるだろうな。あの人が喜んでもらうにはどうしたらいいだろう。そんなことを考えて身近な人に喜んでもらえるコトをしている。

人は「相手」のことが分かっていれば分かっているほど、その人の抱えている妄想を理解する事ができる。この「相手」のスケールを少しずつ大きくしていくと「広く多く」の人たちに使ってもらえるモノが出来上がる。

最初は身近な誰かが使ってもらえるモノでもいい。
本当にニッチなニーズを持っている人たちを満たせるモノでもいい。

簡単なようで難しいこと。あたりまえだけど見落としがちなこと。
失敗を重ねながらそんなモノづくりが出来るように、日々頭を捻って生きていく。

今はそういった人生を歩んでいるわけです。
明日も頑張ろう。

2012年6月10日日曜日

キャリアにおける心情の変化

今日はキャリアにおける心情の変化についてのエントリ。

就活時代→新卒時代→そして今、たった数年だがキャリアにおける考え方がかなり変わったと思う。今まではそれをただ漠然と「変わったなぁ」と思っていただけだったけれど、今日はきっちり落としこんでみようと思う。

と言うわけで、イキナリだが時はさかのぼる。

■学生時代

大学の2回生の後半くらいから、僕は周りの人たちから、ひたすらに優秀だと思われたかった。頭が良いと思われたかった。これまで大して勉強なんかしたことが無かったし、頭も悪かったのに、だ。

理由は簡単、通ったいた大学のゼミの影響だ。
僕の入ったゼミは名立たる外資系企業やイケイケなベンチャーで働く先輩が数多くいる、所謂エリート排出ゼミだった。

ゼミの内容は、毎週3冊の本を読んでそれぞれの本で得たインサイトをかけ合わせ、新しいアイディアをプレゼンする。(プレゼン能力とクリエイティビティを養う為の訓練)とか、有名な人にインタビューをして生き方の多様性を知るだったり、ビジネスコンテストに出てみたり等、最近よく言われている意識高い系なかんじのアレだ。

勉強もしたこと無いし、頭も悪い僕が何でそんなとこに入ったのか、
一言で言うと変わりたかった。なんかこのままじゃいけない気がした。

だから取り敢えず飛び込んでみた。

ゼミに入ってからはよく本を読むようになり、勉強もした。
就活を始める頃には、インターネットが大好きだったのでネット系の企業と外資系企業にターゲットを絞っていた。


「選民思想、俺は人と違う、優秀に見られたい、金が欲しい、外資=かっこいい」

誤解の無いように言うと、当時の僕は心底本気で外資系に入りたいと思っていたと思う。
ただ、深層心理を暴けば上記の様な理由が浮き彫りになったのではないかな、と思っている。

インターネットは大好きだったがことごとく落ちてしまったので、一体全体将来何をして生きていきたいのかがよく分からないまま、僕は取り敢えず自分を着飾れる綺羅びやかな服として外資系企業への道を選んだ。

■新卒時代

晴れて自分を優秀だと思ったまま、「即戦力になるんだ。出来ない奴は死ねばいい。」と思いう謎な意気込みで外資系企業に入社した僕は、すぐに絶望した。

会社に貢献する即戦力にはなれなかったし、同じ環境で働いていた人達が代わる代わる去っていくのを見るのは辛かった。

それでも、環境になじむのに一生懸命だったし、早く成果を出したいという気持ちもあったので、自分なりに頑張った。二年目には4半期毎に与えられたノルマを年間で全て達成した。嬉しかった。お金もそれなりに貰えた。新卒の中では初めてグローバルでの案件も受注した。嬉しかった。

でも、何かが違った。

思えばあの頃は自分のいる環境の中で発生する、単発の「嬉しい」を継続させることに必死だった。

「お客様に喜んでもらえると嬉しい」「代理店様と戦略練るのも楽しい」「社内で評価されて嬉しい」「インセンティブが沢山もらえて嬉しい」

でも、これらはどこにいても味わえる喜びだということに気付き始めた。
僕はこの単発の喜びを継続させるだけのサラリーマン生活を続けていけるのか?
僕のしたいことは一体何だ?インターネットが好きだったんじゃなかったのか?自分の貴重な人生の時間を削りながらも楽しみ使っている様なウェブサービスをつくろうとは思わないのか?そんなことを毎日考えていた。

頭の中で色々なサービスの妄想をしては消えていく。
この頃の自分はまさに"My Life is So Much Interesting Inside My Head"だった。

そんな時、大学時代の先輩が僕に声を掛けてくれた。

世界中に旋風を巻き起こすようなサービスを一緒に作らないか?
一緒にサンフランシスコでスタートアップに従事しないか?


■そして今。


僕はサンフランシスコでのスタートアップの準備をしながら、原宿にあるITベンチャーで働いている。学生時代からずっと興味のあった世界に紆余曲折ありながらも飛び込んだわけだ。

今は、やりたい環境に身を置けている物凄い充実感と先行きの見えない不安に揺られながらも、毎日を楽しんでいる。全くのシロウトだった業界だが、半年ほど経ち、少しずつではあるがキャッチアップ出来てきたのではないかと思っている。

日々奮闘しながらも僕は大好きなチームとやりたい事やっている。
でもまだ足りない。

簡単には上手くいかないし、フラストレーションが溜まることもあるけど
まずは、大好きなチームとやりたい事やって皆で成功させたい。


人間、面白いもので欲は尽きないものである。

ふふふ。

とりとめのない一念発起

twitterやfacebookの短文投稿に慣れ、最後に書いたエントリーはなんと2010 年の 2 月 27 日。二年以上もの間、140 文字程度の短文発信に慣れた僕の脳みそは、はたしてブログを続ける事が出来るだけの活動能力を発揮する事が出来るのだろうか?いささか不安ではあるが、心機一転新しいブログでもう一度よちよち歩きで始めて見ようと思う。ちなみに前までのブログはこれ→ http://toshihase.blogspot.jp/

このブログでは大学時代にしていた様に自分の思考をダダ漏れさせていき、思考の整理を行って行こうと思っている。

さて、簡単なキャッチアップをしておいてみよう。

最後に書いたエントリー、つまり 2010 年 2 月 27 日。当時の僕は社会人 1 年目、新卒で入社した外資メーカーで新規のハイタッチセールスとパートナーセールスを行っていた。初めて新規ハイタッチで提案したお客様に製品を購入いただいた頃合いだったと思う。目黒区の洗足で一人暮らしをしており、夜な夜なアニメを見更ける。そんな生活をしていた。

そして、今僕が何をしているかというと、

新卒で入社した会社を退職し、原宿のネットベンチャーで働きながらpeepというサービスを手がけていたり、大学時代の先輩とサンフランシスコでスタートアップの立上げの準備をしている。目黒区の洗足にはもう住んでおらず、渋谷区の幡ヶ谷という場所で「幡ヶ谷ハウス」と勝手に名乗り、IT系PR系の男 4 人女一人でシェアハウスをしている。
また友人達とhiimaというイカしたサービス(になるであろう)も作っている。

当時とキャリアも生活も大きく変わっている。

大きく変わった原因は人の縁だったり、環境の変化だったりと色々あるが、結局のところは自分がそこに飛び込む決断が出来たかどうかだと思う。僕には無理だと思った時点で可能性は消え去ってしまう。そこはジェンダーも年齢も学歴も何も関係ない、飛び込むか飛び込まないかだけだ。

というわけで、飛び込んだ結果失敗しても、死にはしないわけだし(そう信じている)、一度しかない人生なので迷った時は楽しそうな方に飛び込んでみようと思う。←ここが今日のエントリのとりとめのない一念発起の部分でした。