現在は職場も変わり、自分が作ったモノを自分で世の中にデリバーしていくお仕事をしています。
モノを作る時に人は「産みの苦しみ」と言われる期間を味わいます。
ゼロイチであれ、何かのコピーであれ、この「産みの苦しみ」というものは必ず通る過程かと思います。もしかしたら、もっとスマートにやり遂げる人もいるのかもしれませんが、僕はスマートではないのでたいてい苦しんでいる気がします。
ちなみにこの苦しんでいる期間は目に見えるアウトプットが無いので結構辛かったりします。たまに辛すぎてベッドに寝転がりながら膝を立てて、lap top を太ももの上に設置し、日本でやっているアニメを貪りつくように見てしまう日だってあります。
閑話休題。
今日は僕がモノを作る過程で苦しんでいる内容を紹介するという、何とまぁ誰得なのかわからない話をしてみようと思います。
せっかくモノを作るのであれば、それはそれは爆発的に人気が出て、さらに長い期間多くの人に愛されるモノにしたいです。それでお金がちゃりんちゃりん出来たら尚最高です。
でも残念ながらそんな都合のいいモノは存在しません。
ニッチだったり、尖ったコンセプトを含んだモノは面白いと思われることが多いです。
でも、残念ながらそういったものは、何か大きなフレームの中の一部を切り取ってフォーカスさせているという特徴から、一度火がつくと爆発的に広がりますが、消費されるスピードも激しく速いです。要するにすぐに飽きられてしまいます。
あきまへん。こんなんちゃいますねん。流行ってもすぐ終わりですやん。
もっと色んな人に長く愛されたいのんよ。
と、今度は多くの人に長く愛されるものは何だろうと考えだします。
それはニッチでなく、丸いコンセプトを含んだモノであることが多いです。
そういったモノは息が長いです。皆に愛されます。でも、差別化が超絶しにくいし、強大な競合が多いです。個人やちっちゃい会社では勝てません。
あきまへん。そんなんもうどないしようもないですやん。
そうです、どないしようもありません。
でも、モノを作る人はこういった葛藤と永遠に付き合って行かなければなりません。
それでもこの仕事を続けたいと思う理由は、自分が作ったものを友人や、顔を見たことも無い10万人、100万人という人達が使ってくれているという経験を味わってしまったからだと思います。
以上、まさに「産みの苦しみ」を味わっていて、そこから逃避している最中に書いたエントリでした。
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